タカヨシブログ

こんにちは、高橋義仁(タカハシヨシヒト)と申します。

私のクォーターライフクライシス

春から夏にかけての数カ月間、キャリアを次のステップに進める新しい何かをしなければならないとは思いつつ、倦怠感に襲われてただただ疲労感を溜め込む日々が続いていまいした。そんな状態が復調しつつあったとき、たまたま「クォーターライフクライシス」という言葉を見つけ、私が置かれていた状況にかなり似ていたので、おそらく私はこのクライシスに苛まれていたのだろうと思われます。そこで、私がなぜ「クォーターライフクライシス」に苛まれ、どのようにして復調できたのかを2回に分けてこのブログに記録しておきます。

まず、クォーターライフクライシス(以下、QLC)とはどのような事態のことを言うのか、Web上でいくつかの記事が出てくるなか、今回はこちらのサイトを引用してご紹介します。

toyokeizai.net

上記のサイトでは次のように説明されています。

20代半ばから30代前半にかけて訪れるとされる「クォーター・ライフ・クライシス」(以下QLC)。就職や結婚、出産等の重大イベントを迎え、自分の人生に対して「このままでいいのか?」と悩み、漠然とした不安や焦燥感に苛まれる時期のことを指す。

私の場合、重大イベントを迎えたというタイミングではありませんでしたが、自分の人生に対して「このままでいいのか?」と悩み、漠然とした不安や焦燥感に苛まれる状態にありました。その原因としては、仕事内容の変化、TwitterYou Tubeの影響、新たな出会いが主なものであったと考えています。

 

仕事内容の変化

まず仕事に関して、数年前から今年の3月まで、学生の頃に志していた部署に晴れて配属されたこともあり、高い意識をもって仕事に取り組むことができていました。幸いなことに、その仕事に関して複数の方から期待を込めたお言葉をいただくこともありました。しかし、4月の人事異動で全く予想していなかった異なる部署へ異動となり、新たな仕事をこなしつつも、「私の人生でやりたいことって何だったんだろう?」という漠然とした不安を抱えるようになりました。

TwitterYou Tubeの影響

時期を同じくして、TwitterYou Tubeで従来型の終身雇用に囚われない流動的なキャリアデザインを推奨するコンテンツにのめり込むようになりました。転職、起業、英会話、ITといった行動やスキルに関しての情報を浴び、それらと無縁だった私は焦燥感に駆られるようになりました。また、それらの情報の発信者側はもともと高学歴であったり、東京の大手企業や外資系企業での勤務経験があったりする方々だったので、地方の大学を出て地方で就職した私と若い頃の経験値に差がありすぎ、これまでの私のキャリアに対しても疑問を抱くようになってしまいました。

新たな出会い

以前の仕事の関係で、地域の活性化をテーマとしたワークショップに参加しており、そこでは地域で面白い取り組みをしている多くの若者に出会うことができました。参加者は起業や転職、社内での新規プロジェクト立ち上げ経験者、東京からのUターンや2拠点生活など多様な人材が集まり、それぞれ行動力にあふれる方々です。年齢は私と同世代か若い世代が中心で、いい刺激になった反面、「私はこのままでいいのか?」と悩み、漠然とした不安や焦燥感に苛まれる状態の後押しにもなってしまいしました。

 

こうして、仕事環境の変化やキャリアデザインに関する情報過多、これまで付き合いがなかったタイプの若手世代との出会いを通じて、「なんとかしなければ」という焦燥感のみが募り、心身への負担だけがのしかかる日々を過ごしていくこととなりました。

次回は、QLCにおける各フェーズに照らしてどのように復調していったかをお話します。

横浜の汽車道が好きな理由

以前に行った横浜の都市デザインスポットを歩き回る一人旅の中でひときわ気に入ったのは、歩行者プロムナードの「汽車道」でした。汽車道桜木町駅前からみなとみらい21新港地区につながる鉄道遺産を保存し歩道に転用した歩行者プロムナードです。

私が汽車道を気に入った理由は、鉄道遺産の保存と活用へのこだわりを感じ、水辺の景観を楽しむことができ、人の往来で活気があるからです。

夕暮れの汽車道

もとの鉄道路線は明治時代に敷設され、1990年代にはその役割を終えたそうです。その後、みなとみらい21新港地区再整備の中、老朽化した線路と護岸、海外製のトラス橋を撤去せず保存、活用したことで今の汽車道があります。さらに、汽車道から赤レンガ倉庫への繋がりにもこだわりがあったようです。大きい点で言うと赤レンガ倉庫への見通し確保ののため、建物内にトンネルを作っちゃってます。そこまでするか。(逆にそこまでしてそこに建てたかったのか。)小さい点で言うと、そのトンネルの先の広場にもわずかに残った鉄道跡を残すことで、赤レンガ倉庫へのつながりを演出しています。

トンネルの先には赤レンガ倉庫

新港中央広場内の線路跡

汽車道は2つの人工島とその間をつなぐ橋で構成されているため、横浜らしい水辺の都市景観に囲まれた水上散歩を楽しめます。水辺の周囲をみなとみらい21中央地区、北仲通地区の街並みや日本丸、コスモワールドの観覧車に囲まれ、ここを歩くだけでもかなり横浜に浸れます。このあたりの景観に嫌な感じがないのは都市デザイン50周年のたまものといったところでしょうか。上空のYOKOHAMA AIR CABINも新たな景観として馴染んでいるように私は感じました。(平日だったからか乗客がエアーなキャビンだったのは気になるところ。)さらに夜間になると各所ライトアップされ、きらびやかな水上散歩を楽しむことができます。

ライトアップされたトラス橋と光を反射する水面も良き

私が見た限り、平日、休日問わず汽車道は人の往来が盛んで、これは動線に起因する必然性もあるのだと思います。汽車道桜木町駅から、みなとみら21新港地区を結ぶ最短の歩行者ルートです。新港地区には赤レンガ倉庫、カップヌードルミュージアム、コスモワールドといった観光施設やワールドポーターズハンマーヘッドといった商業施設があるため、そこを歩く目的が複数あるわけです。さらに、横浜市では桜木町駅から港の見える丘公園に至る約3.5kmの歩行者ルート「開港の道」を形成しています。開港の道を使えば、赤レンガ倉庫、大さん橋山下公園港の見える丘公園といった港に面した主要な観光地は快適に歩いて網羅できます。汽車道はその起点に位置しています。汽車道は歩いて行く先に目的があり多くの人が往来しているため、より歩いて楽しい雰囲気が創出されているのではないでしょうか。

開港の道は街中の案内図に赤い点線で記載されてます

汽車道は鉄道遺産へのこだわりを感じ、みなとみらいの水辺の景観を楽しめる桜木町駅から新港地区へのアクセスルートという点で、これぞ歩きたくなる歩行者プロムナードと呼べる場所でした。

木陰とベンチの関係

2ヶ月ほど前になりますが、6月に横浜・東京の気になるスポット一気見旅行に行ってきました。今回はその中でひとつ、横浜と池袋で見つけたストリートのベンチと木陰の関係性についての考察です。

横浜の日本大通り

池袋のグリーン大通り

写真は横浜の日本大通りと池袋のグリーン大通りのもので、両方ともストリートのベンチが有効に稼働していました。両者に共通している特徴は、陽の向きが変わってもベンチが木陰に覆われる点です。なお、撮影日の気温は28度ほどでした。

日本大通りのものは植栽の防護が本来の用途かもしれません。しかし、植樹の全周に座れることで、木陰の動きに応じて座る場所を変えることができます。逆に冬場は日向を選んで座れるので汎用性が高そうです。また、幅広の歩道の中心に植栽があるため、どこに座っても歩行者の妨げにならず、自動車との距離も確保できています。

グリーン大通りのベンチは植樹に挟まれているため、日の向きが変わっても木陰の中にベンチがある状態を維持できます。また、設置場所は歩行者の動線と分離しているため気兼ねなく休憩することができます。

一方で、同じグリーン大通りであってもあまり使われていなかったのが下の写真のパークレットです。日を遮るものがないので、28度のなか日光が直撃してしまいます。池袋駅前の同じメインストリートにあって稼働状況には大きな差があったので、人はより快適な環境を見つけて滞在や活動をするということがわかりやすく見て取れました。

グリーン大通りのパークレット

都市の緑化の目的は修景だけではなく、木陰をデザインし活用するという視点があると緑化の効用をより通行者が享受することができるのではないでしょうか。